the PIXEL MAGAZINE

INTERVIEW ARTIST #mae 2022.09.02

今、大きな注目を集めている気鋭のピクセルアーティスト mae 特別インタビュー第2回

Interviewer: 吉野東人 

ゆず新曲「ALWAYS」でドット絵によるMVを手掛けた、ピクセルアーティストmae氏。 今回は彼のピクセルアーティストとしてのキャリアと作家性のルーツに迫る。

maeさんの創作のルーツ

吉野 maeさんの経歴をお聞かせください。
mae 経歴がすこし特殊なんですが、もともと音楽の専門学校へ行ってから教員の専門学校へ行っています。約4年間教員として働いていました。
吉野 インスピレーションを得た作品や影響を受けたものに関してお教えください。空や星のモチーフがよく用いられていたり、maeさんの作品で「Campanella(カムパネルラ)」というタイトルの作品があるように宮沢賢治からの影響があるのかなと思いました。
mae そうですね。宮沢賢治さんが大好きで。 小学6年生って「やまなし」や「クラムボン」を勉強しますよね。なので、その最後の生徒を受け持ったとき、だいたい秋ぐらいに教えるんですが、夏休みを利用して彼の故郷である岩手に神奈川から片道550キロぐらいかけて原付で行きました。お金がなかったのでそうしたのですが、今思うと無謀でしたね(笑)
吉野 それは子どもたちのためのフィールドワークということではなく?
mae 自分自身のためでもあり、子どもたちのためでもありました。 現地には博物館がいっぱいあって、彼が実際に耕していた畑や景色を見てみたいなと思って。 「この景色の中で物語を思い浮かべていたんだ」と感慨深いものがありました。 実際に足を運ぶとより、ぐっと近くなる感覚を受けました。
吉野 それは何日間ぐらいの旅だったのですか?
mae 行きに3日間はかかりました(笑) お尻が痛くなって原付を降りたりだとか、夜出発して栃木あたりのネットカフェの鍵付きの部屋に泊まろうと思ったら全然なくて、次にあるところが福島で、夜中の1時ごろ休もうと思ったのに福島まで行かないとないということで、結局朝の5時頃に福島に着いて(笑) そのあと仙台でちょうど七夕のお祭りをやっていてそのあたりを通ったりしながら向かいましたね。
吉野 大変だけど、良い思い出ですね(笑) 宮沢賢治だと童話村へは行かれましたか?
mae はい。童話村や宮沢賢治記念館へも行きましたね。
吉野 たぶんご覧になったと思うんですけれど、むかしアニメ映画で猫が主人公の「銀河鉄道の夜」がありましたね。 あれが子どもの頃大好きで、ビデオテープが擦り切れるんじゃないかというぐらい繰り返し観ていました。
mae ぼくもあの作品が大好きで、どうしても子どもたちに見せたくてカリキュラムにないのにも関わらず学校で観せました(笑)
吉野 いいですね(笑) 宮沢賢治がいちばんmaeさんの深いところにあるのでしょうか?
mae 常に意識しているというよりかは、無意識のなかで共感できるというか、自分とすごく近い価値観や考えかただったり、人格的にも影響を受けているのかなと思います。 もうお一方挙げるとすると、岡本太郎さんです。 住まいが川崎で岡本太郎美術館が近いんですよ。なので月に1回ぐらいは通っていますね。 貫く姿勢というか、一見シンプルに見えても自分のなかで突き詰めた結果がああなっていて、説明抜きに衝撃を受ける感覚がありますよね。 岡本太郎さんが魂を研ぎ澄ませ続けたからそれが作品に表れていて、小手先のものじゃないんだなと思って。生き方とアートって表裏一体で結びついているものなんだとインスピレーションを受けていますね。

今、大きな注目を集めている気鋭のピクセルアーティスト mae 特別インタビュー第2回

吉野 ゲームやサブカルチャーといった文脈からの影響の部分についてお聞かせください。
mae もちろん自分もドット絵のゲームには触れてきています。 ポケモンだったりマリオやマザー2をやったりだとか。 それらが好きだったんですが、やろうと思ったのはアートとしてピクセルを作られているピクセルアーティストの方々の作品を観て、こういう道もあるんだと知ったのがきっかけです。「ピクセル百景」をはじめ、遡ると高校生ぐらいの頃はTwitterで流れてくるピクセルアーティストのwaneellaさんの作品を夢中になって見ていました。 そのとき自分がやろうとまでは思わなかったのですが。 「これはどうやっているんだろう?」という部分で止まっていたので。 ただ、そのときの感覚があったんで、ピクセルには人を魅了する力があるということに対しては自信があったんですよね。
吉野 ゲーム文脈ではなく、ピクセルアート文脈ということなんですね。
mae そうですね。ゲームからで語れるほどのものがなくて。好きでやってはいたのですけれど。

maeさんと音楽

吉野 maeさんはご自身で作品に合わせた音楽も制作されていますが、好きな音楽家やジャンルといったものはありますでしょうか?
mae 久石譲さんがすごく好きですね。バンドでいったらフジファブリックがすごく好きで気に入っています。あとはMr.Chirldrenはよく聴きましたね。 いちばん最初に好きになったのはロード・オブ・メジャーですね。
吉野 maeさん自身の楽曲の影響はどこからきているのでしょうか?
mae ぼくの場合はローファイ・ヒップホップ(※1)(以下ローファイ)からですね。
※1)ジャズを中心にサンプリングされ、ルーズなビートで構成された音楽がムーブメントとなって生まれた名称。BGM的かつスローテンポでリラックスしたムードの楽器中心の楽曲であることが特徴。
吉野 やはりヴェイパーウェイヴ(※2)的な文脈からきているのですね。
※2)2010年代初頭にWeb上の音楽コミュニティから生まれたジャンル。素材の加工と切り貼りのみで制作されたカウンターカルチャー要素を含んだ実験音楽。
mae そうですね。ピクセルアートを始めるきっかけにそれもあって、YouTubeでいろんなチャンネルがあるじゃないですか。で、ピクセルアートとローファイを組み合わせたものがあって。それで自分が教職を退職したときに最初レコーディングエンジニアになろうと思っていたんですが、ちょうどコロナ禍になり、祖父がそのとき亡くなってしまったことが重なって。 そうしたなかなか動き出せない状況のなかだけどなにか表現したいということで、自分でローファイの音楽を作りアートワークとしてピクセルを描きたいなと思って。 それが始まりですね。
吉野 自ら音楽を表現するなかのアートワークの一部として、ピクセルアートを始めたということなのでしょうか。
mae そうですね。なにか人に希望を届けるというか、安心したり勇気を持ってもらったりだとかそういうものに携わるなにかがしたいと思っていて。 だからほんとうは自分で作ったものを聴いてもらったり観てもらったりするアーティストがいいなと思ったんですけど、それもどんな道でそうなるのかということも分からなかったときもあったので、レコーディングエンジニアと考えていたんですけれど。
吉野 とても興味深いですね。スタート地点としてはインディペンデントなミュージシャンが自らアートワークを手掛けたことがきっかけでピクセルアートの世界に進んだということなんですね。
mae はい。作った作品をYouTubeにアップしてそのリンクをTwitterに貼って載せたんです。そうしたらMVのドット絵を描いてもらえませんか、という依頼がDMできて。そういう文化があることも知らなかったので、驚きましたね。 そこで引き受けてじゃあこれが終わったら就活しようと思ったら、また次の依頼を頂いて。そうして「あ、SHIBUYA PIXEL ARTっていうのがあるんだ」となり出てみようと思ってドットを打ち込んで。そうしたらそこで賞を頂いて、それでまた違うお仕事を頂いたりと引き継ぎ引き継ぎで繋がっていって。 ここまで楽しみにしてくれる人がいるなら、自分もちゃんと腰を据えてやってみようかなと。

今、大きな注目を集めている気鋭のピクセルアーティスト mae 特別インタビュー第2回

吉野 いちばん最初にご依頼された方というのはどのMVですか?
mae けんたあろはさんという方の『SISTER』という曲です。
吉野 (YouTubeを流しながら)これがmaeさんの依頼としてのデビュー作ということなんですね。
mae はい。ボーカロイドの楽曲ですね。 こちらが依頼で初めて作ったもので、自分で作った最初のピクセルアートの作品は「evening glow(tells us)」ですね。


最初のピクセルアート作品『evening glow(tells us)』。音楽も自ら手がけている。

吉野 (YouTubeを流しながら)きれいですね。 今の自分から見て、当時のこの技術はどう評価されますか?
mae なんにも分からないで描いていたし、これは自分で撮った写真を元に描いていたので感覚をもとにして描く今の方法とはすこし違うんですけど、ただ素直に楽しんで描いてる感じが思い出されていいな、と。このときはまだ働きながらやっていたと思うので、夜コメダ珈琲とかでiPadでポチポチ進めながら描いてましたね。
吉野 ご自身でアートワークと音楽を制作する場合、どちらから先に作られますか?
mae どちらを見せたいかによりますね。音楽を聴かせたいならそちらを先にします。今は絵を描くことの方が多いので、絵があって音をつけるかつけないかの判断になってきますね。 ただ、音をつけるとどうしてもMP4になってしまうので。ピクセルアートってGIFとの相性の良さもあるからGIFで出したいときもあって、そうなると音がつけられない。なので、ケースバイケースですね。

maeさんと絵画

吉野 maeさんの作品には印象派的な表現が多く見られると思うのですが、絵画という文脈において影響を受けた作家はいらっしゃいますか?
mae 語れるほど精通はしていないのですが、ゴッホやモネなどそういった方の絵はもちろん目にしたことがあって。あとこれはまたぼくがPIXEL IMPRESSIONISMでやっていることとは違うんですけれども、ニコラ・ド・スタールさんという画家の「NOON LANDSCAPE」という絵がすごく好きですね。 この方は印象派のような、そうじゃないようなちょっと中間っぽい描き方をされる作品があるんですけど、なんか見たことあるようなないような分かるような分からないような中間にあって、でもすごく安心する色の組み合わせで。 自分はいつまでも見ていられる心地良い絵が好きなので、そういう意味では心のなかに残っていますね。
吉野 カンディンスキーを始め、ロシアの画家はこの時代こういう抽象画との合わせ技のような表現が多かったのですかね。時代性だったのでしょうか。 歴史的にも抽象画の出始めの頃で、カンディンスキーは抽象派の開祖と呼ばれていますけれど。 maeさんはニコラ・ド・スタールが絵画として好きということですか?
mae そうですね。すこしいいかたが難しいのですが、常に「今、あまりないようなことをしたい」というのがあって。 ピクセルアーティストとして絵を描かせてもらうなかで「あ、こういうやりかたもあるんだ」だとか「こういう感覚も面白いな」とかそういうものを常に探しながら実験しています。 そのなかで絵画が好きといった感覚に基づくと点描で描かれている印象派のものがあるので、「点で考えたらピクセルでもなにか表現できるんじゃないかな」って。 またピクセルだとアニメーションにもできるので、デジタルでしかできない不思議な表現にならないだろうかというところで複合的に考えを組み合わせたような感じですね。
吉野 maeさんの作品には電線だったり、室外機というモチーフがよく登場しますが、それはピクセルアートとして描きやすい(一定のリズムで動きが出せる)題材だからでしょうか?
mae そのように健気に存在し続ける身の回りのものに対して、美しさを感じるということが最も大きな理由です。 室外機も、団地も、電柱も、美術作品として形成されたものではないと思います。でも人の生活を支えるためにそこに存在し続けていて、ぼくはその健気さに感謝するとともに多くのインスピレーションを受けます。 そういう「実用性」を与えられたものの美しさの多くは見落とされてしまいやすいと思います。自分もまだまだ見落としています。だからそれを見つめ直すような気持ちで作品のモチーフにすることが多くあります。 自分の作品を見た人が、そうした何気ないもののよさに共感してくれたら嬉しいです。

今、大きな注目を集めている気鋭のピクセルアーティスト mae 特別インタビュー第2回

maeさんの原動力

吉野 小学校の先生をされていたということは絵画なども教えないとならないですよね。図工だったり絵画は経験としてあったのでしょうか。
mae あ、でもそれはほんとうに人並みというか、いろいろやるなかでの図工だったので(笑) ただ自分はもともと絵は好きで、小学校の頃なにかの賞で入選を頂いたことがあったんですけど、「美大に入りたいな」と思った時期もすこしあって。 でもやっぱり音楽への興味が強く、軽音楽部にも所属していたこともあったのでそっちを選んだのですが、それがなければ美大に行っていたかも、というぐらい絵は好きでしたね。
吉野 人格形成でいうと、幼少期はどのような子どもでどう過ごされてきましたか?
mae ぼくは昔から「静かだね」といわれていましたね。手のかからない、というか。 結構人見知りというか、恥ずかしがり屋だったので、あんまり人が大勢いるところへ行くと萎縮しちゃうような感じでしたね。 今もその名残りはあるかも知れないですけど(笑)
吉野 そこから先生になろうと思ったのはすごいですね。
mae 「先生なんて絶対嫌だ」と当時は思っていました(笑) 学校行くのも疲れるなと思っていたときもあったので、「先生って大人になっても学校へ来なきゃいけないなんて地獄だな」って思っていたんですけど、気づいたらやっちゃってたっていうのもあって。 不思議ですけどね。
吉野 音楽の専門学校へ行っていたところから教師の専門に行くターニングポイントがあったのでしょうか?
mae 音楽の学校は資格を取る学校じゃなかったので、暮らしていくうえでなにか資格が欲しくて、仕事としてやりながら音楽も続けていきたいと考えたときに小学校の先生というものがあったんですね。 教育実習をしたらすごく楽しくてやり甲斐を感じて。ただ、そこからはそこへの葛藤があったんですよね。 「教師の仕事はすごく自分に合っているな」と思って1年2年3年とやっていくなかで、周りの先生方も認めてくださったので、このまま自分が教師でやっていくのも全然無理ではないなと思ったんですけど、自分の今までの経緯もあったので「これで表現の世界に一度も挑戦しないまま終わったら後悔が残りそうだな」と。なので嫌で辞めたわけではなくて、「やっぱり自分を試したい」という気持ちでしたね。
吉野 作品を精力的に作られていますが、その原動力やモチベーションはどこからくるのでしょうか。
mae いろんな人に見てもらえば見てもらうほど、恩返しをしたいと思う相手が増えていきますね。最初は誰も期待していない、自主的に描くことからのスタートだから、その時期はすごく大変でした。ゼロから積み上げるのってよほど自主的に働かないとなかなか気づいてもらえないので。 ただそうやって続けていくなかで、応援してくれる家族だったり友だち、SNSを通して繋がった方たちが楽しみにしてくださっているというところで、新しい絵を観たときに一瞬でも気持ちが安らぐというか、そういう瞬間をどうにか繋いで、絵を観てくださった方の人生をすこしでも良くしていけたらいいなと思いますね。
吉野 今、maeさんの作品を購入されている方がたくさん増えてきていますよね。 アーティストが生き続けると作品は生き続けるという部分があると思うのですが、活動の継続性における責務についてどうお考えでしょうか?
mae ぼくは永遠にアーティストとして生き続けようという決意があります。 ただ時代が変わってきていると思う部分があって、その職業だからその職業の人でいなきゃいけないということはなくなってきているんじゃないかな、と。 先生だから先生しかやっちゃ駄目とかではなくて、先生だった頃も自分はアーティストだと思っていましたね。 それは地続きで自分に付随しているものだから、やめるやめないというベクトルではないのだろうなと思います。
吉野 アーティストであるということの定義は人それぞれ違っていいんじゃないかなと思います。maeさんのアーティストの定義についてお聞かせください。
mae やりたいことをやって、それを人に見てもらったらアーティストなんじゃないかなと思います。 そのぐらい敷居低いものでもいいのかなと。崇高なものでないほうがぼくは好きです。 作品を見ていただいて「すごい」と褒めていただけることもあって、その場ではお礼をいうんですけれども、その人がやっている仕事も充分すごいと思っていて。それは他の職業を経験したからより一層なのかも知れませんが、どの職業も大変だったり素晴らしいところがありますよね。 絵の場合、作ったものをすぐに見てもらえるというところはありがたいところだと思います。守秘義務がある仕事はそうはいかないですよね。 アーティストという要素は実は誰でも持っているものなんじゃないかなと思いますね。だから、みんなすごいと感じています。 <第3回へつづく>

  • 吉野東人
  • Interviewer: 吉野東人 音楽家/ライター 東京都出身。エレクトリックギターによる多重演奏を主体としたオーケストレーション制作をライフワークとする傍ら、フラメンコ舞踊、アートワーク、文藝誌への寄稿を行うなど、活動は多岐に渡る。 photography by norihisa kimura(photographer)