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2025.02.28
奥田栄希 DIG SHIBUYA記念インタビュー Part3 いつまでも変わらない“8bitゲーム”の魅力
Interviewer: 坂本遼󠄁佑
2025年2月8日から2月11日までの4日間で開催されたアート×テックの祭典「DIG SHIBUYA」。その企画のひとつとして“みんなでやるRPG”をコンセプトに、ゲーム作品『パソコンクエスト』のイベントを開催したピクセルクリエイターの奥田栄希氏に特別インタビュー! YouTubeのライブ配信を通して複数のユーザーが同時にプレイできる、新感覚ゲーム誕生までの舞台裏を深掘りした。(文=坂本遼󠄁佑|Ryosuke Sakamoto)
漫画家少年だった幼少期とバスケに熱中した学生時代
坂本 | 現在は、クリエイターとして活動されている奥田さんですが、子供の頃から絵などは描いていたんですか? |
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奥田栄希 | 絵を描くことは、幼い頃から好きでした。小学校に入学してからは、自作で漫画を作るようになって。自分でストーリーを考えながら、コマ割りなども決めていましたね。 |
坂本 | 完成した漫画は、友達に見せたりしていたんですか? |
奥田栄希 | いや、基本的に自分だけで楽しんでいました。親にあまり漫画を買ってもらえなかったこともあり、自分で漫画を描けばいいんだと思いついて。なので、ぼくにとって漫画は“読むもの”というより“描くもの”という認識でした。 |
坂本 | カッコいいですね。中学校では部活動などしていたんですか? |
奥田栄希 | 中学と高校ともにバスケ部でした。 |
坂本 | 体育会系だったんですね! |
『GLITCH 2.0』(2019)
奥田栄希 | 当時は、漫画『SLAM DUNK』が流行っていたので、バスケ部に入る友達が多かったんです。ぼくも同級生になめられたくなくて、スポーツ系の部活に入ることにしました。 |
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坂本 | では、中学校ではあまりアート系の活動はしていなかったんですね。 |
奥田栄希 | そうです。でも、中学校を卒業する時に、制服などで枠にはめられる高校より、自由な校風の学校に進学することにしました。 |
坂本 | それは美術系の高校ですか? |
奥田栄希 | 特に美術系の高校というわけではなかったです。美術系の授業も多くありましたが、当時はあまりアートに興味がなくて。 |
坂本 | では、いつからアーティスト志望になったんですか? |
奥田栄希 | 特にいつということではないのですが、他の教科に比べて美術の成績がよくて。高校2年から美大の予備校にも通っていたので、自然と美大に進学するものだと考えてたんです。でも、親にはちゃんと食べていけるのかと、ずっと心配されていました(笑) |
坂本 | 美大生あるあるかもしれません(笑) |
『CHINATOWN』(2021)
テクノロジーが進化しても変わらないドット絵
坂本 | 大学では絵画科で油画を専攻されていますよね? なぜ油画を専攻に選んだんですか? |
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奥田栄希 | 最初は、デザインにも興味がありました。でも、予備校のデザイン科の人たちと仲良くなれなくて(笑)絵画科の人たちの方が話が合ったんです。特に、油画の人たちは少し“やさぐれてる感”があって、そこがカッコよく見えたんですよね。 |
坂本 | 専攻によって生徒たちの雰囲気も変わるんですね。では、大学時代はずっと油画を描いていたんですか? |
奥田栄希 | もちろん単位を取るのに必要なので描いていましたが、途中からアニメーションなどの映像作品に興味を持って。在学中はできるだけ油画を描かないで卒業することばかり考えていました(笑) |
『JUNGLE』(2017)
坂本 | すごい反骨精神ですね(笑)その頃は、どのような映像作品を制作していたんですか? |
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奥田栄希 | 当時は、フラッシュ動画の全盛期だったので、アニメーションが多かったですね。でも、大学を卒業したくらいの時期に、世の中の動画のスペックが一気に上がって、高画質の動画が多く出回るようになって。 |
自分のパソコンだと容量的に対応しきれなかったので、逆に低解像度の作品を制作しようと思いだしたんです。それで、容量の軽いファミコンのゲームソフトを開発するようになりました。 | |
坂本 | 容量の制限があるファミコンの方が、ある意味よかったんですね。 |
奥田栄希 | ちょうどフラッシュ動画を作るソフトのサービスが終了することになって、いよいよ自分が作れる作品の選択肢が狭まっていたんです。最新のツールを使っても、どうせすぐにより高画質なものが開発されて、また大容量のパソコンを買わないといけなくなるし。 |
ならば、これ以上変わることのないファミコンにしようと思って。今後、どんなにテクノロジーが進化しても、初期のファミコンのスペックは決して変わらないし、かつてのドット絵としての味わいがある。今も昔の姿のままで残っている“化石”を見つけた気分になりました。 | |
坂本 | 今では、美術館などでファミコンが展示される時代ですもんね。 |
『CITY』(2017)
ピウセルアートの変革期だった「ピクセルアウト」
坂本 | これまで8bitゲームの作品を中心に制作されてきた奥田さんですが、ドット絵を“ピクセルアート”と認識したのはいつ頃ですか? |
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奥田栄希 | 2016年に開催された企画展「ピクセルアウト」に参加したあたりからです。 |
2015年に江戸川橋にあるTakashi Somemiya Galleryで、初めての個展「悲しいゲーム」を開催した時に、主催のたかくらかずきくんが見にきてくれたらしく。ピクセルアウトにも作品を出展しないかと声をかけてくれたんです。 | |
坂本 | Takashi Somemiya Galleryで個展を開催することになったきっかけはなんだったんですか? |
奥田栄希 | 大学時代の友達がギャラリーの方と知り合いで、レセプションでポートフォリオを見ていただき、代表の方から初の個展を開催しないかとご提案いただきました。 |
ピクセルアウトにも展示されたゲーム作品『MEGIO』(2015)
坂本 | それで、たかくらかずきさんと出会ったんですね。ピクセルアウトに参加されて、どのような感想を持たれました? |
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奥田栄希 | ぼく以外にも、ドット絵を使っているアーティストがいることを知って嬉しかったです。しかも、アーティストによって掛け軸だったり、スマホの画面だったり、ブラウン管テレビだったりと、表示する媒体や展示の仕方などもさまざまで。 |
まだ“ピクセルアート”が世の中に浸透していなかった時代、「ドット絵をもっとメジャーなアートにしたい」という、たかくらかずきくんの想いが伝わってきました。 | |
坂本 | その後、ピクセルアートの展示などには参加されていたんですか? |
奥田栄希 | 2019年に、シブヤピクセルアートで開催された企画展「現代の妖怪」に参加して。それからピクセルアート関連の企画にお声かけいただくことが多くなりました。 |
坂本 | 今では、ピクセルアート界の中心人物のひとりのような存在です。 |
奥田栄希にとって“8bitゲーム”の魅力とは?
坂本 | 最後に、奥田さんにとって“8bitゲーム”の魅力とはなんですか? |
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奥田栄希 | ぼくにとって8bitゲームの魅力とは、“これからも変わらないこと”です。これ以上、解像度が低くなることはないでしょうし、時代が進んでも“ドット絵”としてあり続ける。 |
80年代に誕生した時点ですでに完成していたので、良くも悪くも8bitゲームは今の状態のままでしょうね。まさに“最小単位”みたいな存在なので。ミニマルアートとしても出来上がっているし、これからも“古典”の作品のような立ち位置として、受け継がれていくのではないでしょうか。 |
- 奥田栄希
- Interviewer: 坂本遼󠄁佑 the PIXEL magazine 編集長。東京都練馬区出身。大学ではアメリカの宗教哲学を専攻。卒業後は、出版社・幻冬舎に入社し、男性向け雑誌『GOETHE』の編集や、書籍の編集やプロモーションに携わる。2023年にフリーランスとして独立し、現在はエディター兼ライターとして活動している。