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#日下一郎
2025.02.14
日下一郎 特別インタビュー Part3 漫画家からゲームクリエイターへ、そしてリベンジの映画制作へ
Interviewer: 坂本遼󠄁佑
昨年、約5年の年月をかけて完成した映画『ファイナルリクエスト』。かつて少年誌で連載されていた漫画を原作に、世界初の“フルドット絵”で描かれた長編映画作品は、日本が誇る有名クリエイターたちも多く制作に参加している。そんな『ファイナルリクエイスト』の著者である、マルチクリエイターの日下一郎氏に特別インタビュー! 8bitファンタジーの物語に込めた、ゲーム開発者としての想いとはーー。(文=坂本遼󠄁佑|Ryosuke Sakamoto)
アニメーション作りに没頭した学生時代
坂本 | 宮崎県出身の日下さんですが、子供の頃に強く影響を受けた作品はなんですか? |
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日下一郎 | やはり子供の頃に見たテレビアニメ『未来少年コナン』ですね。監督を勤められた宮﨑駿さんの情熱と狂気。同僚だった高畑勲さんが言うところの“エロスの火花”が、私の人生を大きく変えてしまいました。 |
坂本 | 現在は、イラストレーターとしても活躍されていますが、学生時代から絵を描いていたんですか? |
日下一郎 | 中学生時代は吹奏楽部に所属していたんですが、高校に入学してからは美術部に入部して、『麻薬の国のアリス』という映像作品を制作していました。 |
上級生の先輩たちが制作していた作品を引き継いで制作していたのですが、同級生たちと切磋琢磨しながらアニメーションを描いて。その頃に、イラストレーターとしての技術を身に付けましたね。 |
高校時代に美術部で製作した『麻薬の国のアリス』
高校生の作品とは思えない作画のクオリティだ
坂本 | 同じ部活から輩出された有名なクリエイターの方はいるんですか? |
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日下一郎 | その時の先輩のひとりだった鹿角剛さんという方は、後にVFX制作会社の代表として、「映像研には手を出すな」や「進撃の巨人」など、今も多くの日本映画のVFXを担当されています。 |
当時からアニメーションや特撮など、多岐にわたって自主映画を制作されていて、名物高校生のような存在でした。 | |
坂本 | 鹿角さんはVFXの分野で、日下さんはゲームの分野で活躍されている。同じ部活内でも違う才能が芽生えていったということですね。 |
日下氏の学生時代のエピソードは、漫画『8bit年代記』(マイクロマガジン社刊)で紹介されている
若手漫画家からゲームクリエイターへの道
坂本 | 高校卒業後は、どのような活動をされていたんですか? |
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日下一郎 | 大学在学中に描いた漫画『吉田松陰』が、春のアフタヌーン四季賞に準入選し、講談社の「増刊モーニングパーティー」で連載を持つようになりました。 |
坂本 | 最初は漫画家として活動されていたんですね。 |
日下一郎 | なので、実は社会人になってからも、こっそり“ゾルゲ市蔵”というペンネームで活動していました。 |
春のアフタヌーン四季賞で準入選した漫画『吉田松陰』(1990)
坂本 | そのまま漫画家として活動される気はなかったんですか? |
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日下一郎 | 次第に、漫画家というのは連載が継続しないと、ちゃんと食べていける保証がないことに気がつきまして(笑)当時のゲーム業界は大いに盛り上がっていたので、給料などもよく。好きなことをしながら仕事ができると思い、現在の株式会社セガに入社しました。 |
坂本 | 最初にセガで手がけられたゲームはなんだったんですか? |
日下一郎 | 1994年に発売されたアーケード用の体験型格闘ゲーム『ドラゴンボールZ V.R.V.S』です。 |
自分の身体で“カメハメ破”の動作をすると、ゲームの中でもカメハメ波が出るという、4人同時プレイの大型アトラクションゲーム機だったのですが、規模が大きすぎて運用に至らず、結局大幅な赤字を出してしまいました。 |
株式会社セガで働いていた頃の日下一郎氏(中央下)
坂本 | そんな規格外なゲーム機を制作されていたとは(笑)他にもアーケードゲームで制作された作品はあったんですか? |
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日下一郎 | その後は、『レイルチェイスⅡ』や『ダートデビル』などの開発に携わりました。当時のアーケードゲームは、『ストリートファイターⅡ』以降の対戦ゲームの渦中であり、一方でドット絵に替わる3DCGの本格化といった激動の時代で、なかなか結果を出せず。本当に申し訳なかったです。 |
坂本 | 家庭用ゲーム機のゲームソフトは、開発されていなかったんですか? |
日下一郎 | 家庭用ゲーム機の開発への希望はありましたが、所属がアーケードゲーム担当だったのでできず。でも、上司の温情のような形で、2001年に発売されたドリームキャスト用のコンピューターゲーム『セガガガ』を作ることができました。 |
その後、主なところではゲームボーイアドバンス用のゲームソフト『ASTRO BOY 鉄腕アトム -アトムハートの秘密-』や、ニンテンドーDS用のゲームソフト『ブラック・ジャック 火の鳥編』なども、私が開発を担当したゲーム作品です。 |
どうしても諦めきれなかった漫画家という夢
坂本 | そんなゲームクリエイターとして活躍されていた日下さんが、再び漫画家として『ファイナルリクエイスト』を描き始めたのには、どのような理由があったんですか? |
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日下一郎 | 当時、自分の会社を立ち上げて独立したのですが、ゲームの企画を進める一方で、やはり漫画家という夢を諦めきれなかったんです。 |
それで、どうしても漫画を描きたくて、かつて連載をしていた講談社に連絡をして。再び漫画を描かせてもらえないかお願いしてみました。 |
講談社の「増刊モーニングパーティー」で連載されていた漫画『横綱大社長』(1991)
しかし、現役から20年以上のブランクが空いていたので、なかなか企画が通らず。「少年シリウス」の編集をしていた小笠原さんにもご協力いただき、後に「ヤングマガジン」の『レトロゲ』で担当となる細谷さんから、「ドット絵で漫画を描いてはどうか」というご提案をいただいて。 | |
坂本 | ゲームクリエイターとしての経験も活かせるスタイルですもんね。 |
日下一郎 | それまで存在しなかった“全編ドット絵”という新しい挑戦に、私のなかで熱い闘志が芽生えて、必死になってドット絵のイラストを描きました。 |
坂本 | そうして、漫画『ファイナルリクエイスト』が誕生したんですね。 |
日下一郎 | 講談社の編集者の方々は、本当に情に厚い人が多くて。大ヒットしなそうな漫画でもしっかりと寄り添ってくれて、ちゃんと面倒を見てくれるので安心感があるんです。 |
坂本 | その方が、漫画家としてもやりがいを感じられると思います。 |
日下一郎 | 以降、それまで“ゾルゲ市蔵”と名乗っていたのですが、ペンネームを“日下一郎”に改めまして。心機一転、新たな漫画家としての道を歩み出しました。 |
“ゾルゲ市蔵”から“日下一郎”へのリベンジ
坂本 | “ゾルゲ市蔵”というペンネームには、なにか由来があるんですか? |
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日下一郎 | 子供の頃に映画「007」が公開されたことで、日本中がスパイブームで盛り上がり、ずっとスパイに対する憧れみたいなものがあったんです。それで、スパイを代表する人物といえば、“ゾルゲ事件”のリヒャルト・ゾルゲ。 |
また、“市蔵”という名前は、宮沢賢治の童話『よだかの星』に、容姿の醜いよだか(ヨタカ)が、本物の鷹に「名前をあらためろ、市蔵というんだ」と、改名を迫られるシーンから取っています。 | |
坂本 | 実在したスパイと宮沢賢治の童話。まったく違う世界の名前を組み合わせたペンネームだったんですね。 |
日下一郎 | 今の“日下一郎”というペンネームも、ゾルゲ(Sorge)のゾルを、ラテン語の“Sol”と言い換えまして。 |
これは太陽を意味し、本来の読みは「ソル」ですが、オランダやドイツでは語頭のSが濁って「ゾル」になることがあるらしいので、ちょっと強引ですが日(ゾル)の下(ゲ)というシャレでこの名前にしました。 一方、“一郎”にはあまり深い意味はありません。 | |
坂本 | まさか“日下”という名前が、“ゾルゲ”を意味していたなんて、、、。 |
日下一郎 | これは自分の不徳の致すところですが、セガ時代に開発した『サンダーフォースVI』というゲームソフトが、インターネット上では非常に評判が悪く、ゲームファンの間で“ゾルゲ市蔵”という名前の印象もあまり良くなかったんです。 |
それで、活動を再開するに当たって、新たに日下一郎という名義で、『ファイナルリクエスト』を描いていたんです。しかし、ついに『ファイナルリクエスト』の映画が完成したことで、これからは自信を持ってふたつの名前を名乗れるようになりました。 | |
坂本 | 映画『ファイナルリクエスト』は、汚名返上のための“リベンジ作”でもあったんですね。 |
- 日下一郎
- Interviewer: 坂本遼󠄁佑 the PIXEL magazine 編集長。東京都練馬区出身。大学ではアメリカの宗教哲学を専攻。卒業後は、出版社・幻冬舎に入社し、男性向け雑誌『GOETHE』の編集や、書籍の編集やプロモーションに携わる。2023年にフリーランスとして独立し、現在はエディター兼ライターとして活動している。