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ARTICLES ARTIST #Shinji Murakami 2024.10.11

Shinji Murakami 特別インタビュー Part3 “枯れた技術”のビデオゲームを世界のポップアートへ

Interviewer: 坂本遼󠄁佑 

NYを拠点に世界で活躍する現代アーティストのShinji Murakami氏に特別インタビュー! 20代からストリートアーティストとしてグラフィティ作品の制作を始め、現在は8bitゲームをベースにしたアート作品でも知られる今注目のアーティストが語った、ビデオゲームの歴史をポップアートにする意味とは−−。

ついに最終回を迎えた本連載。最終回である第3回では、子供の頃に遊んだファミコンソフト『ゴルフ』の思い出や、ゲームクリエイターである横井軍平氏の『枯れた技術の水平思考』という言葉の意味、そしてShinji Murakami氏の最大の目的である過去のビデオゲームをポップアートとして昇華させる意義について迫った。(文=坂本遼󠄁佑|Ryosuke Sakamoto)

子供時代に熱中したファミコンソフト『ゴルフ』

坂本 数々のゲームを題材にしたアート作品を発表してきたShinji Murakamiさんが、初めてプレイしたゲーム機はなんだったんですか?
Shinji Murakami やっぱりファミコンですね。ぼくは1980年生まれなんですが、ファミコンの発売が1983年だったので、5〜6歳の時に初めてプレイしたのを覚えています。
坂本 最初にプレイしたゲームソフトはなんですか?
Shinji Murakami プレイしたゲームソフトは覚えてないのですが、最初に親に買ってもらったのは、なぜか『ゴルフ』(※1)というスポーツゲームでした。
※1)1984年に任天堂から発売されたファミリーコンピュータ用スポーツゲーム。プレイヤーはピンまでの距離や風の向きを計算しながら全18ホールを巡る。
坂本 もともとゴルフが好きだったんですか?
Shinji Murakami ゴルフには興味なかったんです。でも、兄が『スーパーマリオブラザーズ』を買ってもらっていたので、他のゲームソフトが欲しくて『ゴルフ』にしました。すごく地味なゲームでした(笑)
坂本 そのゲームはやり込んだんですか?
Shinji Murakami やり込みましたね。小学校3年生くらいだったのですが、風の向きなどを考慮しながらメーターでボールを打つ仕様になっていて。上手いタイミングでメーターを止めるのに苦戦していました。
坂本 その後もずっとゲームで遊んでいたんですか?
Shinji Murakami 少しだけやらない時期もありましたが、基本的にはずっとゲームをプレイしてきました。プレイステーションもPS1の頃から始めて、なぜかPS3だけ持っていないのですが、最新のPS5まで買ってプレイしています。
坂本 インディーゲームもやるんですか?
Shinji Murakami インディーゲームも好きですね。坂本さんはゲームはやらないんですか?
坂本 子供の頃はよくやっていたのですが、最近はあまりプレイしなくなってしまいました。
Shinji Murakami ぜひインディーゲームで遊んでみてください。メジャーなゲームソフトとは違うユニークさがあって、1日ですべてのストーリーをクリアできるものもあるので、きっと自分にあったゲームを見つけられると思います。

枯れた技術の水平思考で“ゲーム”を“アート”に変える

坂本 ピクセルアートの初期の作品は、どのようなものだったんですか?
Shinji Murakami ゲームソフト『ゼルダの伝説』や『ドラゴンクエスト』などに出てくるような“マップ”をアート作品にしていました。
坂本 RPGゲームを俯瞰した“マップ”をアート作品にするんですか?
Shinji Murakami ダンジョンにある“木”や“山”などをドット絵のスタンプにして、自分で配置を決めながらゲームの世界観を作っていくんです。

Shinji Murakami 特別インタビュー Part3 “枯れた技術”のビデオゲームを世界のポップアートへ『Village with Church』(2004)

坂本 独特なスタイルですね。なにか作品のコンセプトなどはあったんですか?
Shinji Murakami 現代アーティストのロイ・リキテンスタイン(※1)は、アメリカンコミックをポップアートにした。日本の現代アーティストである村上隆さん(※2)も、ジャパニーズアニメーションをアート作品にしている。
ならば、自分はゲームカルチャーをアート作品にできるのではないか。そう考えたことが、マップの作品を制作し始めたきっかけでした。
※1)Roy Lichtenstein。アメリカの画家。アメリカのポップアートの代表的な人物のひとり。代表作に『ヘアリボンの少女』がある。
※2)日本の現代美術家。日本のみならず海外のアートシーンでも高い評価を受けている。

Shinji Murakami 特別インタビュー Part3 “枯れた技術”のビデオゲームを世界のポップアートへ『World Map of Final Quest』(2004)

坂本 Shinji Murakamiさんは、任天堂の元社員だった横井軍平さん(※3)の「枯れた技術の水平思考」という言葉に影響を受けているそうですが、この言葉に出合ったきっかけはなんだったんですか?
※3)日本の技術者。ゲームクリエイター。任天堂で『ゲーム&ウオッチ』や『ゲームボーイ』などの開発に携わる。『携帯ゲームの父』という異名で知られている
Shinji Murakami はっきりとは覚えていないのですが、はっきりとは覚えていないのですが、20歳ぐらいからゲームカルチャーをアート作品にしようと思って、ゲームの歴史を勉強している時に横井さんの言葉を見つけました。
坂本 横井さんの「枯れた技術の水平思考」という言葉は、どのような意味を持っているんですか?
Shinji Murakami 例えば、横井さんが開発した『ゲーム&ウオッチ』(※4)というゲーム機は、電子計算機の“電卓”の構造を応用していて。当時、電卓が世界的に普及していたので、資材や半導体を安く手に入れることができた。そこで、電卓の構造を作り変えれば、新しいおもちゃになると思いついたんです。
※4)1980年に任天堂が発売した携帯型液晶ゲーム機。任天堂にとって初の携帯型ゲーム機だった。

Shinji Murakami 特別インタビュー Part3 “枯れた技術”のビデオゲームを世界のポップアートへ『Mars Lander』(2022)

坂本 すでにある技術やシステムでも、新しいアイデアと組み合わせることで、なのかを生み出すことができるということですね。
Shinji Murakami そうです。しかも、既存のシステムを使っているので、価格を抑えることもできるんです。
坂本 この「枯れた技術の水平思考」という言葉は、Shinji Murakamiさんの作品の中にどのように表れているんですか?
Shinji Murakami 枯れた技術である過去の8bitゲームを、現代アート作品として使用することが、そのまま当てはまると思います。
昨年、SHIBUYA PIXEL ARTで展示した“LED彫刻”などもわかりやすい例です。今では、LEDは看板や照明などに多く使われていますが、アート作品の素材として使うと、新しい表現技法のひとつになる。
他にも、過去のゲームのプログラミングを書き換えて、オリジナルのアート作品として作り変えている点も、もしかしたら「枯れた技術の水平思考」と言えるのかもしれません。

ゲームの歴史をポップアートの文脈に入れる試み

坂本 今では、3DCGなどのテクノロジーが進化したことで、よりリアルな映像を作ることができるようになった一方、Shinji Murakamiさんは8bitのゲーム作品を多く手がけられています。なにか“8bit”にこだわる理由などはあるのでしょうか?
Shinji Murakami 現在、世界のゲームビジネスの市場規模は、映像業界と音楽業界を合わせたものよりも大きいと言われていて。巨大産業のひとつになっています。ぼくは、そのゲームビジネスの歴史の始まりを、ポップアートの文脈に入れたいんです。
坂本 ポップアートの文脈にですか?
Shinji Murakami そうです。自分たちの世代は、村上隆さんの書籍やインタビュー記事を読んで、海外のアートシーンでどのように振る舞えばいいのかなどを学んだ。今度は、私たちがそのバトンを次の世代に渡していく番なのだと思います。だからこそ、ぼくはポップアートにこだわりたいんです。

Shinji Murakami 特別インタビュー Part3 “枯れた技術”のビデオゲームを世界のポップアートへ『Wheel Puppy (Generation 4)』(2013)

Shinji Murakami 特別インタビュー Part3 “枯れた技術”のビデオゲームを世界のポップアートへ『Flwrs』(2014)

坂本 8bitのゲーム作品だとどうしても、表現できるもの幅に制限がありますよね?
Shinji Murakami ファミコンの時代のドット絵は、技術的な制限から仕方なくやっていました。でも、今となってはドット絵を使わなくてもゲームを開発することができます。なのに、ゲームクリエイターの人たちのなかには、あえてドット絵のゲームを作ろうとする人たちがいる。
つまり、今の世代の人たちにとって、ドット絵はもはや表現の制約ではなく、アートやゲームのジャンルのひとつなのでしょう。ゲームのシステムは、最新のテクノロジーで作られているのに、見た目だけレトロなドット絵になっている。ぼくは、これを“外側のピクセル”と呼んでいます。
坂本 では、現代においてドット絵を描くことは、表現の幅を狭めることではないんですね。

Shinji Murakami 特別インタビュー Part3 “枯れた技術”のビデオゲームを世界のポップアートへ『Pizza Boy』(2022)

Shinji Murakami 最近では、「Unity」などのゲーム開発用ソフトウェアのなかに、普通の絵をピクセル化するフィルターも内蔵されているので、簡単にゲームのドット絵を描くことができますよ。
坂本 一方、Shinji Murakamiさんにとって“ドット絵”は、ノスタルジーの象徴みたいなものなんですか?
Shinji Murakami ぼくは“ファミコン世代”として育ってきたので、やはりドット絵には懐かしさがあります。また、自分はゲームの歴史をテーマに作品を制作することが多く、ピクセルは“初期のゲーム”の象徴でもあるんです。
ただピクセルを使うだけでは、作品のコンセプトとして弱すぎる。それでは、アート作品として生き残れるだけの強さがない。なので、ぼくは「アセンブリ言語」という旧式のプログラミング言語を使うなど、作品の“外側”だけでなく“内側”にもこだわっています。

Shinji Murakamiにとってピクセルとは

坂本 最後に、Shinji Murakamiさんにとって“ピクセル”とはなんですか?
Shinji Murakami ぼくにとってピクセルは“マテリアル”です。画家が絵の具をキャンバスにのせていくように、ぼくもドットを打つことで作品を制作している。つまり、ぼくにとってピクセルは、単に素材のひとつに過ぎないんです。
坂本 アート作品を制作するための“ツール”に近い認識ですか?
Shinji Murakami そうですね。他のアーティストの方々には失礼かもしれませんが、ぼくは自分のことをピクセルアーティストだとは考えていません。ビデオゲームの歴史をポップアートにしたくて活動を始めたので、ピクセルはその目的のための“手段”のひとつなんです。
なので、8bitのゲームをポップアートの領域に運ぶための“入れ物”として、ぼくはピクセルを使っているとも言えるのかもしれません。

Shinji Murakami 特別インタビュー Part3 “枯れた技術”のビデオゲームを世界のポップアートへ


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  • 坂本遼󠄁佑
  • Interviewer: 坂本遼󠄁佑 the PIXEL magazine 編集長。東京都練馬区出身。大学ではアメリカの宗教哲学を専攻。卒業後は、出版社・幻冬舎に入社し、男性向け雑誌『GOETHE』の編集や、書籍の編集やプロモーションに携わる。2023年にフリーランスとして独立し、現在はエディター兼ライターとして活動している。