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ARTICLES ARTIST #たかくらかずき 2024.09.27

たかくらかずき 特別インタビュー Part3 現代美術家・たかくらかずきとは何者か

Interviewer: 坂口元邦 

東洋思想や日本仏教を軸に作品制作を行う現代美術家のたかくらかずき氏に特別インタビュー! HOTEL ANTEROOM KYOTOで開催されているart bit展で、出展作品に込めた想いやこだわり、ピクセルアートを始めたきっかけ、そして東洋美術とゲームの関連性について聞いてみた。

第1回から第2回にわたりHOTEL ANTEROOM KYOTOで開催されているart bit展で、出展作品に込めたこだわりや想いについて語ったたかくらかずき氏。続く第3回では、ピクセルアートに出合ったきっかけや、ピクセルアーティストのm7kenji氏との意外な関係性について語った。(文=坂本遼󠄁佑|Ryosuke Sakamoto)

現在のたかくらかずきができるまで

坂口 今では世界的に活躍されているたかくらさんですが、子供の頃はどちらで生まれ育ったんですか?
たかくらかずき 生まれたのは東京で、幼少期は山形県、小学校高学年からは山梨県の市川三郷町で育ちました。富士山の目の前にあるのに、盆地のため手前の山に隠れて富士山が見えない町です(笑)
坂口 幼い頃からアートやゲームに興味があったんですか?
たかくらかずき 子供の頃から絵を描くことが好きで、将来の夢は漫画家になることでした。母親がサブカルチャー好きで、手塚治虫の漫画が全巻あるような家庭で育ち、無線オタクの父親はバーをやっていました。
父親のバーには、当時としてはいち早くwindows95が置いてあって、そこで潜水艦のゲームをしたりとか、あとは家にKONAMIの『ピクノ』っていうテレビで絵が描けるおもちゃがあって、よく絵を描いたりしていました。
坂口 大学ではなにを専攻されていたんですか?
たかくらかずき ぼくが大学進学を考えていた頃は、テリーギリアム監督(※1)の映画にものすごく影響を受けていたり、ミシェル・ゴンドリー監督(※2)やスパイク・ジョーンズ監督(※3)のMVが流行っていたりと、高校時代から映像を作ることに興味があったんです。
※1)アメリカ出身のイギリスの映画監督。代表作『未来世紀ブラジル』。
※2)フランス出身の映像作家。代表作『エターナル・サンシャイン』。
※3)アメリカ出身の映画監督。代表作『マルコヴィッチの穴』。
なので、映像作家の丹下紘希さんが東京造形大学を卒業されたと聞き、東京造形大学の映画専攻に進学して映像を学ぶことにしました。
坂口 当時、目指していた職業などはあったんですか?
たかくらかずき 学部生時代は、映画の裏方や舞台美術の仕事をしたかったんです。しかし実際やってみると、映像を撮るのってスケジュール管理とかロケハンとかすごい段取りが多くて(笑)ひとりでできるものを探して、絵画やアニメーション作品を制作したり、コマ撮りアニメを作ったりしていました。

ピクセルアートが繋いだm7kenjiとの関係

坂口 ドット絵を描き始めたのもその頃ですか?
たかくらかずき なにがきっかけだったかは忘れましたが、大学3年生ぐらいからドット絵の制作を始めていました。大学を卒業してから映像作家の大月壮さん(※4)のところにTwitterで連絡して押しかけて、ドット絵の映像作品の制作をさせてもらうようになって。
※4)日本の映像作家。ピクセルアートを用いた映像演出を得意とする。代表作「アホな走り集」(第15回文化庁メディア芸術祭審査員推薦作品)。
坂口 ドット絵の描き方はどのように勉強されたんですか?
たかくらかずき 同時期にピクセルアーティストのm7kenjiくんが、大月さんのもとで映像作品の制作をしていました。本格的なドット絵の作り方は、彼と仕事をするなかで教えてもらったことが多いです。
坂口 m7kenjiさんとの出会いは、大月さんがきっかけだったんですね。
たかくらかずき m7kenjiくんとは、兄弟弟子のような関係でした。大月さんが作品全体のディレクションをして、ぼくたちがアニメーションを制作するという流れで。それまでは我流で描いていたのですが、彼はきっちりとドット絵の技法を学んでいたので、いろいろなことを教えてもらいました。
坂口 それはいつ頃のことですか?
たかくらかずき 2014年から2016年あたりです。大月さんやm7kenjiくんと、スペースシャワーTVの映像だとか、上坂すみれさんの『パララックスビュー』のMVの仕事をしていました。

上坂すみれ氏のMV『パララックス・ビュー』(2014)。Movie & Web Directorを大月壮氏が務め、Chief Dotterをたかくらかずき氏、Designer & Dotterをm7kenji氏が担当した。

坂口 グループ展「ピクセルアウト」(※5)を開催されていた時期ですね。
※5)2016年にたかくらかずき氏がディレクションを務めた企画展。さまざまな手法でピクセルを意欲的に用いて作品を制作する14名のアーティストが参加した。
たかくらかずき そうです。ドット絵でいろんなクライアントワークをやっていたこともあり、その頃はドット絵が“ノスタルジー”としてしか意味づけされていないと感じていて、ピクセルアートをよりロジカルなものにしたかったんです。
なので、その“ノスタルジー”の枠を超えて、ドット絵を表現技法として使っているアーティストを集めて「ピクセルアウト」を開催しました。
坂口 ピクセルアウトでは、ゲームで使用されていたドット絵から、もう少しコンセプチュアルな作品も展示されていて。ドット絵の裏側を掘り下げた作品が印象的でした。

関西のアート・ワールドで感じたこと

坂口 2016年頃までは、他の仕事の傍らでアーティスト活動をしていたとのことですが、アーティスト活動を専業にしようと思ったきっかけはなんだったんですか?
たかくらかずき 大学を出てから2019年までは東京で活動していました。東京はそれぞれのジャンルのプレイヤーの数が多いので、良くも悪くも“ハッシュタグ化”されているという感覚がありました。一度、「#ドット絵のアニメーション作家」というハッシュタグがついてしまうと、「#現代美術のアーティスト」のハッシュタグをつけるのがすごく難しい。
おそらく若手でキャリアもたいしてないというのもあって、なかなか美術の方向に転換できなかったんです。ドット絵という見た目から「批評的でコンセプチュアルなアートではないでしょ」と、他の分類に選別されてしまうことが結構多かったような気がします。
坂口 アーティストの“ハッシュタグ化”とは面白い視点ですね。
たかくらかずき 「ピクセルアウト」を企画したのには、そんな気持ちをなんとかしたいという想いもありました。
坂口 ピクセルアートのためだけでなく、自分のための展示会でもあったんですね。
たかくらかずき 2020年のコロナ禍以降に京都に引っ越して、「ARTISTS' FAIR KYOTO」で『アプデ輪廻』という仏教のお墓をテーマにしたインスタレーションの作品を展示しました。その頃から、アーティストとしての仕事をいただけるようになりました。
関西は関東よりはプレイヤーの数が少ないから、ハッシュタグ化されづらいというのがあって、そこがとても魅力的です。伝統的なものから新しいものまで、いろんなジャンルをまたいで人々が仲良くなりやすいというのもあります。
坂口 地域によってハッシュタグ化にも違いがあるんですね。

たかくらかずき 特別インタビュー Part3 現代美術家・たかくらかずきとは何者か『炎上不動明王』(2024) 記録撮影/阪急うめだ本店、制作協力/NIINOMI・ガミテック・NEORT @阪急うめだ本店

たかくらかずき また、関西のアート・ワールドは、とにかく作品をつくって生活するぞ、というエネルギーに満ちている。そこが好きになりました。アカデミックなプライドみたいなものを気にするより、とにかく作品をつくって生きていくことにフォーカスしている感じが、自分にフィットしました。
坂口 でも、アーティストを本職にするには、相当な勇気がいりましたよね?
たかくらかずき 勇気はいりますよね。でも、ぼくは競争が苦手なので、いかに空いてる席に座るかを考えてやっていました。幸いクライアントワークで、ピクセルアートやアニメーションの技術は習得できていたので、これを使って現代美術をやるぞと考えて。ドット絵の現代美術作家は少ないだろうと。
それだけでは弱いので、なるべく他の人と被らなそうなもので、かつ自分が好きなもの、東洋思想だとかゲームだとか、そういうものをよく勉強して追求しようとも考えました。NFTやXRについても面白そうと飛びついていた頃に、タイムングよくブームが来たことが大きかったと思います。
坂口 アーティストとして活動をされて、なにか手応えはありましたか?
たかくらかずき ぼくが本当にやりたかったことをできるようになりました。自分にとって興味関心があることを勉強し、理論立てて作品にすることが、アーティストとしての評価に繋がる。なので、今は自分がアーティストとしてやるべきことはなんなのかを日々探っています。とても楽しく有意義な毎日です。
坂口 アーティストとしての夢を実現されたということですね。
たかくらかずき クライアントワークを中心にしていた頃は、どうしても“やらされている感”が多少出ちゃって、ちょっと横暴になってしまうこともあり、そういう自分が出てしまうのはよくないなあと思っていました。
坂口 仕事を依頼する側になると、自由だけでなく責任も付いてきますよね。
たかくらかずき そうなると絶対に横暴になるわけにはいかない。“誰かが作りたいものを頼まれる側”から“ぼくが作りたいものを頼む側”にもなったわけなので、絶対に謙虚でいないといけないと思っています。
坂口 素敵な考えだと思います。
たかくらかずき ぼくが作りたいものを作ったり誰かに頼むことで、いろんな人の生活の一部が回っていると思うと気が引き締まります。

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  • Interviewer: 坂口元邦 the PIXEL代表。SHIBUYA PIXEL ART実行委員会発起人。18歳で渡米し、大学では美術・建築を専攻する傍ら、空間アーティストとして活動。帰国後は、広告業界で企業のマーケティングおよびプロモーション活動を支援。ゲーム文化から発展した「ピクセルアート」に魅了され、2017年に「SHIBUYA PIXEL ART」を渋谷で立ち上げた。現在は、ピクセルアーティストの発掘・育成・支援をライフワークにしながら、「現代の浮世絵」としてのピクセルアートの保管や研究を行う「ピクセルアートミュージアム」を渋谷に構想している。