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ARTICLES ARTIST #たかくらかずき 2024.09.27

たかくらかずき 特別インタビュー Part4 なぜ今、“東洋”なのか?

Interviewer: 坂口元邦 

東洋思想や日本仏教を軸に作品制作を行う現代美術家のたかくらかずき氏に特別インタビュー!HOTEL ANTEROOM KYOTOで開催されているart bit展で、出展作品に込めた想いやこだわり、ピクセルアートを始めたきっかけ、そして東洋美術とゲームの関連性について聞いてみた。

ついに最終回を迎えた本連載。第3回に渡ってHOTEL ANTEROOM KYOTOで、たかくら氏の魅力を紹介してきた連載を締めくくる第4回では、日本のみならず海外からも高い評価を受けるたかくら氏が、東洋思想や仏教を軸にアーティスト活動を続ける真の“動機”について迫った。(文=坂本遼󠄁佑|Ryosuke Sakamoto)

アジアの視点で“アジア・東洋”を考える

坂口 たかくらさんは、これまで東洋思想を軸に活動をされてきましたが、東洋思想に最も惹かれた点はどこだったんですか?
たかくらかずき 東洋思想は、洗練されていないんです。モダニズムや資本主義などの西洋思想は、さまざまな物事を一本化し更新してきたからこそ、先鋭化され進化してきたのだと思います。だから、発達した現代社会があるのは西洋思想のおかげだし、現代の“美”の感覚も西洋美術の影響が大きい。
例えば、キリスト教では基本的に経典はひとつで、経典が増えていくことは認められていない。でも、仏教では大乗仏教以降、経典が勝手に増えてゆき、仏もどんどん増えてゆき、密教や曼荼羅などの思想にまで派生していった。つまり、二次創作的なさまざまな要素をすべて受け入れた結果として、今の東洋思想の広大な体系があるのだと思います。
坂口 宗教におけるそのとりとめのない感じは、まさに今の日本にも当てはまりますね。

たかくらかずき 特別インタビュー Part4 なぜ今、“東洋”なのか?『山越阿弥陀図』(2022) 制作協力/サンエムカラー・ガミテック @YODgallery

たかくらかずき 日本の人たちは、自分たちの国のことを「クールジャパン」といっていますが、ぼくは日本を“クール”な国だとは思っていなくて、“ストレンジ”な場所だと思っていて。世界の国々のさまざまな文化や思想がたどり着く“波打ち際”のような場所だと考えています。
西洋のキリスト教文化や、東洋の仏教や道教の思想、東南アジアの精霊信仰など、あらゆる要素が混ざり合う交差点に日本が存在し、その“残骸”が少しずつこの国に蓄積されていった。そして、本質を特に理解しないままフェティッシュな感覚を中心にして吸収していった結果が、今の奇妙奇天烈な日本の状態なのではないでしょうか。
坂口 確かに、日本にはまだしっかりと定義付けされず、整理できていないまま残っているものが多くありますよね。
たかくらかずき しかし、そういう状態にこそ魅力を感じています。ぼくが東洋思想や仏教を勉強しているのは、日本のあらゆるものがごちゃ混ぜになった文化について考えたいと思っているから。そして、東洋の視点から“アジア・東洋”全体についても考えてゆきたいという気持ちが大きいです。
坂口 たかくらさんが“東洋”を基軸に活動されているのには、そんな日本やアジアに対する想いがあったんですね。
たかくらかずき そういった“よくわからないもの”に対して、とりあえず名前を付けるクセが東洋にはあると思っています。最近、ぼくは日本のキャラクターカルチャーについてよく考えていて、日本の“妖怪”や“特撮怪獣”はとりあえず種類がたくさんあって、それぞれに名前を付けておけばいいという感覚がある。これは『ポケットモンスター』などにも共通しています。
坂口 日本独自の文化なのかもしれませんね。

たかくらかずき 特別インタビュー Part4 なぜ今、“東洋”なのか?『伽羅選曼荼羅』(2024) 制作協力/神田川雙陽・サンエムカラー・ガミテック @BUG"キャラクター・マトリクス"

たかくらかずき 洋画に登場する“モンスター"って、昆虫や爬虫類をモチーフにしているものが多くて、とりあえず恐ろしい見た目をしていて、ゴジラみたいな日本の“特撮怪獣”に比べると種類やパターンが少ない。これは、ひとつの方向に洗練されているからだと思います。
一方、ポケモンには1000体以上のキャラクターがいて、すべてのキャラクターに名前があり、それぞれに愛着が持たれている。これでは洗練されていないですよね。
坂口 “洗練されていない”とはどういうことですか?
たかくらかずき アジアや日本特有の“洗練されていなさ”とでも言いましょうか。例えば、ポケモンのように種類がどんどん増えていくような様子は、“モダニズム”とはまったく違うベクトルを持っていると思っています。“密教的”や“曼荼羅的”とも言えますね。これはモダニズムから派生したアートの世界では評価できなかったことだと思うんです。
洗練させなければ、テクノロジーも発達しないし、資本主義のようなシステムも発達しない。可能性とバリエーションだけが増えていって、人類の進化は止まるのだと思います。逆に、今人類が“進化しすぎている”と思うなら、こう言った“曼荼羅的バリエーション”が進化を止めるのに必要なのではないでしょうか。"進める"のではなく"広がる"という感じです。

東洋の“レンマ的思考”で世界を捉え直す

坂口 東洋の宗教では“輪廻”など、生まれ変わりの思想がありますが、西洋の宗教では“死生観”などが、始まりと終わりではっきりと区切られている。このような東洋と西洋の宗教の違いは、どこから生まれていると思いますか?
たかくらかずき 輪廻の概念は仏教以前の“ヴェーダの宗教(バラモン教=ヒンドゥー教のルーツ)”からあって、東南アジアの島々や神道においても、死者の魂が現世に精霊として戻ってくるようなことが信じられていました。これも“洗練されてなさ”と重なってくることだと思うんですが。生と死が同時にあるんだと思うんですよね。生と死を棲み分けないみたいな。
これは仏教だったりインドや中国的な考え方では、生と死だけじゃなくてあらゆるものが同時に存在していて、すべては具体的に存在するという“有”の概念と、すべては“空”であるという考え方すら、同時に存在するという思考法があります。華厳だと“理事無礙法界”とか“事事無礙法界”とか言うのですが、これってなんとなく量子コンピューターみたいだなと思ってます。

たかくらかずき 特別インタビュー Part4 なぜ今、“東洋”なのか?『ハイパー神社(鬼)』(2024) 記録撮影/前田立、制作協力/Tadaaki Sakamoto・サンエムカラー・ガミテック・YUMEMI @SushiTechSquare

坂口 対極にあるものたちが同時に存在するという思想は、どのようにして生まれたんだとお考えですか?
たかくらかずき あらゆるものが同時に存在し、洗練されずに広がっていくという考え方は、自然と密接なアジアの環境とも関連しているのではないでしょうか。森を歩きながら「ここに行けば食べ物が手に入る」とか「この地域には入いらない方がいい」など、ものや場所に“精霊”というアイコンを結びつけることで、空間的に世界や物事を捉えてきたんだと思います。
このような、ぼくの視点や考え方は、人類学者の中沢新一さん(※1)の著書『ポケットの中の野生 ポケモンと子ども』などに、強い影響を受けています。
※1)日本の思想家・人類学者。著書に『チベットのモーツァルト』や『レンマ学』がある。
坂口 ぼくも中沢さんの思想には影響を受けていて、特に面白かったのが“ロゴス”と“レンマ”の話です。論理的に物事を理解する“ロゴス”に対して、直感的に物事をそのまま把握する“レンマ”は、言葉の世界で取りこぼされてしまうものを捉えることができる。人間の思考にとって非常に大切な要素だと思っています。
たかくらさんの活動も、人間の視点や世界の捉え方を分析して、より立体的かつ包括的に物事を捉えようとしている。仮に日本の思想が“ロゴス”より“レンマ”によって物事を捉えているのであれば、それをポジティブに受け入れて表現にしているような気がします。

たかくらかずき 特別インタビュー Part4 なぜ今、“東洋”なのか?個展『メカリアル』(2023) 制作協力/サンエムカラー・ガミテック @山梨県立美術館

たかくらかずき まさに東洋思想は“レンマの思想”だと思います。空海も『声字実相義』という著書の中で、“ことば”を意味ではなくて象徴としてとらえることについて書いていて、それが“梵字”であったり“曼荼羅的”な感覚にも繋がっているんじゃないかなと思います。明確な意味が決まっていない“絵文字”なんかも、もしかしたらレンマ的なのかもしれません。
坂口 東洋思想におけるレンマ的な考え方は、昔から脈々と受け継がれてきていたんですね。
たかくらかずき 西洋のロゴス的な価値観は人類をここまで進化させ、たくさんの素晴らしい文化を作ってきました。ゲーム、ドット絵、デジタルアートを作り出しているコンピュータやプログラムなんかは、ロゴス的なものの真骨頂であり集大成といえると思います。
そして、それらのロゴス的な技術をレンマ的に使うとどうなるのかが、ぼくが気になっているところでもあります。“正義”も“エラー”も同時に受け入れて、進歩的な”歴史”から広がりの“生態系”に転換する可能性を見出したいと思っています。

たかくらかずきにとってピクセルとは

坂口 最後に、たかくらさんにとって“ピクセル”とはなんですか?
たかくらかずき ぼくにとってピクセルは“デジタルの象徴”です。ぼくがピクセルアートを始めた頃、ピクセルアートをいかに“ノスタルジー”から引き剥がすかが、自分にとって一番大きなテーマでした。でも、もうピクセルアートは社会に深く浸透していて、もはやノスタルジーといった類のものではないと感じています。
ここ数年、京都芸術大学でアニメーションを教えているのですが、毎回、ドット絵で映像作品を制作したいという生徒が数人いるんです。しかし、彼らの多くがドット絵のゲームに思い入れがあるわけではなくて、彼らにとってドット絵は“懐かしいもの”ではない。ひとつの表現技法として、確立された共通言語になっている。そういった意味でも、デジタルの象徴であり態度だと思っています。

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  • Interviewer: 坂口元邦 the PIXEL代表。SHIBUYA PIXEL ART実行委員会発起人。18歳で渡米し、大学では美術・建築を専攻する傍ら、空間アーティストとして活動。帰国後は、広告業界で企業のマーケティングおよびプロモーション活動を支援。ゲーム文化から発展した「ピクセルアート」に魅了され、2017年に「SHIBUYA PIXEL ART」を渋谷で立ち上げた。現在は、ピクセルアーティストの発掘・育成・支援をライフワークにしながら、「現代の浮世絵」としてのピクセルアートの保管や研究を行う「ピクセルアートミュージアム」を渋谷に構想している。