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#増田敏也
2024.08.16
増田敏也 特別インタビュー Part3 科学技術が進化する時代のなかで陶芸品を作る意義
Interviewer: 坂本遼󠄁佑
パソコンの画面から飛び出してきたような“ドット絵”の立体作品。これは日本の伝統工芸である陶芸の世界において、ピクセルで身の回りにあるものを表現する新たな技法を打ち出した、デジタル陶芸家の増田敏也氏の作品だ。そんなピクセルアートとも関係が深い増田氏に特別インタビュー! 陶芸界の異端児が語った“デジタル”を人間の手で作品にする意義とは。
第2回で、デジタルを陶芸作品のテーマにした経緯について語った増田敏也氏。続く第3回では、現在のデジタル陶芸のカタチになるまでの流れや、3Dプリンター技術が発達するなか手作業で陶芸品を作る価値、ピクセルアートや陶芸界隈における増田氏の立ち位置について深掘りしてみた。(文=坂本遼󠄁佑|Ryosuke Sakamoto)
“デジタル陶芸”としての進化
坂本 | これまで“デジタル陶芸家”として数々の作品を制作している増田さんですが、一番初めに作ったデジタル陶芸はどのような作品だったんですか? |
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増田敏也 | 2003年に制作を始めた『Anachro CG』というシリーズ作品です。学生時代は、金属工芸で“デジタル”を表現しようとして、モーションキャプチャーの映像のような、動いているものを静止させた状態を作品にしていました。 |
でも、大学のスタッフを退職した頃から、CGで制作された自動車のモデリング映像を、陶芸作品で表現できないか試作するようになり。そうして生まれたのが『Anachro CG』のシリーズです。たたらで作った格子状の板を組み合わせて、さまざまな自動車の形を表現していました。 |
坂本 | 自動車を陶芸にしたことには、なにか意味があったんですか? |
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増田敏也 | ぼくの地元は、そんな田舎ではなかったので、動植物があまり身近にはなかった。どちらかというと自然は見に行くものだと思っていて。自然をモチーフにした作品を制作することは、僕にとってある意味で“不自然”な行為だと感じたんです。 |
コンクリートに囲まれたアスファルトの道路に、トラックなどの自動車が走っている風景の方が馴染み深かった。なので、パソコンの画面上で再現された車のCGが、くるくると回っている状態を立体作品にしたくて、ガラスの台にモーターを付けて再現していました。 | |
坂本 | 『Anachro CG』のシリーズは、どうやって制作したんですか? |
増田敏也 | まずパンチングボードみたいに、板状の粘土に四角い穴を格子状に開けていきます。そこから各パーツの長さに合わせて粘土の板をカットして、最後に筒状のような状態で素焼きするんです。当時は、まだ独学で陶芸をしていたので、自分にできることはそれくらいでした。 |
でも、この作業を3年くらい続けていくうちに、少しずつ粘土の扱い方がわかってきて。次第に、自分がやりたかった“ドット”を、陶芸で表現できるようになったんです。そして生まれたのが Low pixel CG『Electric bulb?』(2007)という、初めてドットをモチーフにした電球の作品です。 |
坂本 | 最初から“ドット”を作りたかったんですか? |
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増田敏也 | 当初から自分が作りたかったものは、この低解像度のドットでした。でも、そのための技術が追いついていなかった。何度も試行錯誤を繰り返していくうちに、自分の思い描いていた作品に近づけることができたんです。 |
坂本 | そうやって今のデジタル陶芸の作品が生まれたんですね。 |
増田敏也 | でも、その頃はまだレンガみたいな粘土の塊を使っていて、輪郭の線を引きながら細かく削り出していました。最後に、中の粘土をくり抜いて空洞にする必要もあって、大きな作品を制作するためには、その分だけ大きな粘土の塊を用意しないといけなかったんです。 |
それで、パイナップルの輪切りのような形をたくさん作ってから、何枚も重ねて形にしていく“積層”というやり方を思いついたんです。これなら大きな作品でも、必要最低限の粘土を用意すれば、ひとつの作品にすることができると気づいて。 | |
坂本 | 作品を制作するプロセスも少しずつ進化しているんですね。 |
3Dプリンターではできないこと
坂本 | 増田さんのほかに、デジタル陶芸家として活動している人はいるんですか? |
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増田敏也 | ぼくには、インターネットオタクみたいな部分があって、これまで何度も同じような陶芸家がいないか検索してきました。でも、今のところ同じような“デジタル”や“ドット”をモチーフにして、フルカラーで陶芸をやっている人は見かけません。 |
一方で、最近では3Dプリンターの技術が発達し、陶芸用3Dプリンターも開発されていて。 なかには、ピクセル状の壺や器などを作る人もいます。ただ、それだとデジタルをテーマに陶芸をする意味を、十分に活かしきれていない気がするんですよね。 | |
坂本 | デジタルをテーマに陶芸をする意味とはなんですか? |
増田敏也 | デジタルに人間らしさを組み込むとでもいいましょうか。3Dプリンターで作成したドット状の器は、釉薬がべったりと塗られていて、表面のデコボコが消えてしまっている。これだと、ただガジェットに頼っている感じがして、どうしても作り手の顔が見えてこない。 |
初期のファミコンって、クリエイターたちが限られた技術と画素数のなかで、いかにドットを“火”や“水”に見せるか試行錯誤していた。そこに、クリエイターたちの人間らしさが出ていたし、ぼくを含めて多く人がファミコンの魅力だと感じていたのだと思います。 | |
坂本 | 今のゲームにはない要素ですね。 |
増田敏也 | 最近では、生成AIがほぼ実写のような画像を作ることができますが、よりリアルな表現になるほど人間らしさは失われていく。誰でも同じものが作れてしまうなら、別にその人が作る意味はない。ぼくは自分にしか作れないものを作りたいんです。 |
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坂本 | 再現性があるデジタルデータとは違い、同じものを大量生産することが難しい個人陶芸家、だからこその考え方なのかもしれませんね。 |
増田敏也 | ぼくはデジタルで絵を描かないんです。ドット絵も描いていません。同じようにドットを打てば、そっくりなものができてしまうから。特に16×16や32×32のように、ピクセルの数を制限すればするほど、それぞれの作家の個性を出すのが難しくなる。 |
それに対して、人間の手で作り上げる陶芸品は、同じことをしても作り手の“癖”が出やすい。嫌でも差が出てしまうので、陶芸の方が“作家性”を出すという意味では楽かもしれません。デザインや色合いで個性を出すドット絵は、陶芸よりも高度なことをしている印象があります。 |
視点で変わるデジタル陶芸の立ち位置
坂本 | 増田さんのなかで“デジタル陶芸”は、ピクセルアートに入ると思いますか? |
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増田敏也 | ひとつのジャンルとして、みなさんに認めていただけるなら、ありがたいくらいの感覚です。ぼくのデジタル陶芸の作品は、斜めの線が入っていることもあるので、それを見て「ピクセルアートではない」とか「正方形でないとダメ」という人もいるかもしれません。 |
そういう人たちにとっては、ピクセルアートではないだろうし。見る人によっては、ピクセルアートに見えるかもしれない。ぼくは“デジタル”という言葉は使っていますが、“ピクセルアート”とは断言していないつもりなので。その判断は、見る人に委ねています。 | |
坂本 | ピクセルアートの定義って難しいですよね。 |
増田敏也 | おもちゃのブロックだって、ピクセルアートだと捉える人もいるし、立体作品はピクセルアートだと考えない人もいる。人それぞれ違うのは仕方がないでしょう。でも、ピクセルアート好きの人に、声をかけてもらえることはすごく嬉しいです。 |
坂本 | ピクセルアートに多様性があるように、陶芸品にもさまざまな種類があるんですか? |
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増田敏也 | 一言で“陶芸”といえど、ものすごく幅の広い表現媒体なので、伝統工芸品のようなものもあれば、現代的なデザインのものもある。また、建築関係で使われるタイルや洗面器、トイレなんかも陶器でできています。また、ファインセラミックスを含めるとさらに増えてくる。 |
他にも、原子力発電所やスペースシャトルにも、セラミックが使われているので、実は私たちの日常生活は陶芸で溢れているんです。生活に密着しすぎてわかりづらくなっていますが。 |
坂本 | そんな陶芸界隈では、増田さんはどのような立ち位置にあるんですか? |
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増田敏也 | 陶芸作品という観点では、ぼくのデジタル陶芸は、もちろん王道ではないと思います。でも、日本で脈々と受け継がれてきた陶芸の歴史のなかでいえば、ぼくの作品も間違いなくその系譜のなかで繋がっている。 |
今という時代を生きて、陶芸の作品を制作している限り、陶芸の歴史には刻まれている。他の陶芸家とやっていることは違うけど、陶芸としてのベースにあるものは同じなんだと思います。 |
- 増田敏也
- Interviewer: 坂本遼󠄁佑 the PIXEL magazine 編集長。東京都練馬区出身。大学ではアメリカの宗教哲学を専攻。卒業後は、出版社・幻冬舎に入社し、男性向け雑誌『GOETHE』の編集や、書籍の編集やプロモーションに携わる。2023年にフリーランスとして独立し、現在はエディター兼ライターとして活動している。