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#ジゼル愛華
2025.11.14
ジゼル愛華 特別インタビュー Part1 ブラジルで生まれ育ち、新天地・日本の街並みを描く
Interviewer: 坂本遼佑
カラフルな色使いで街や少女のイラストを描くピクセルアーティストのジゼル愛華さん。日本のカワイイ文化や現代アートに強い影響を受け、19歳にして銀座の蔦屋書店で個展を開催するなど、その才能はアートジャンルの垣根を超えて注目されている。そんな今話題の若手作家であるジゼル愛華さんに特別インタビュー! モデルやタレントとしても活動している、現役大学生クリエイターの素顔に迫る。(文=坂本遼佑|Ryosuke Sakamoto)
日本の渋谷や原宿は“不思議の国”
| 坂本 | 今回は、渋谷のスクランブル交差点で、ピクセルアーティストのジゼル愛華さんに、インタビューをさせていただいています。本日はよろしくお願いします。 |
|---|---|
| ジゼル愛華 | よろしくお願いします。 |
| 坂本 | 東京の渋谷や原宿などの街並みは、よくジゼル愛華さんの作品のテーマとして取り入れられていますが、なにか思い入れがある場所なのでしょうか? |
| ジゼル愛華 | 私は、ブラジルのバウネアーリオ・コンボリウーで生まれ育ち、10歳の時に日本の千葉県に移住してきました。その頃、よく遊びにきていたのが渋谷や原宿だったんです。 |
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| 坂本 | 渋谷や原宿といえば、若者がよく遊びにでているイメージですが、ジゼル愛華さんにとって、渋谷や原宿にはどんな街のイメージがありますか? |
|---|---|
| ジゼル愛華 | 渋谷には“近未来”の街というイメージがあります。幼少期を過ごしたブラジルの街並みに比べると、高層ビルの間をたくさんの人が行き交う渋谷の風景は、まさにSFの世界のような印象を持ちました。 |
| 一方、“カワイイ文化”の発信地である原宿には、カラフルなお店や商品がたくさん並んでいて。世界中の人々が訪れる日本のポップカルチャーの中心というイメージがあります。 | |
| 坂本 | 東京で生まれ育った人たちには、“馴染みのある街”というイメージがありますが、ブラジル出身のジゼル愛華さんにとって、渋谷や原宿は10代の頃に出合った“新天地”だったんですね。 |
『Shibuya Komachi』(2022)
| ジゼル愛華 | そうなんです。なので、渋谷や原宿の街中を歩いているなかで感じた、驚きや喜びをドット絵の中で表現しているんです。 |
|---|---|
| 坂本 | そういわれると、カラフルな街並みの中に描かれた女の子たちが、『不思議の国のアリス』の少女・アリスのように感じられます。まさかこの不思議な世界観が、ジゼル愛華さんの実体験をもとにしていたとは。 |
ブラジルの大自然に抱かれた幼少期
| 坂本 | 2006年にブラジルで生まれ、10歳で日本に移り住んだジゼル愛華さんですが、生まれ育ったバウネアーリオ・コンボリウーという街は、どんな場所だったんですか? |
|---|---|
| ジゼル愛華 | 綺麗なビーチが広がるブラジル有数の観光地です。大自然に囲まれた緑豊かなエリアなので、週末になるとよく家族でビーチに遊びに出かけて。 |
| おじいちゃんのボートに乗って海をクルーズすると、野生のクジラやペリカンを間近で見ることができました。 | |
| 坂本 | さすがブラジル! 野生の動物も規模が大きいですね(笑) |
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| ジゼル愛華 | 他にも、カラフルな魚が泳いているのを眺めながら、ビーチでゆっくりと過ごしたり、広大な自然の中を思いっきり駆け巡ったりと、さまざまな動植物を触れ合える環境でした。 |
|---|---|
| 坂本 | 子どもの頃はすごく活発だったんですね。 |
| ジゼル愛華 | 大人しいところもありましたが、今より好奇心旺盛で元気な子だったと思います。 |
| 坂本 | ひとりっ子とのことですが、どんなご家庭で育ったんですか? |
| ジゼル愛華 | 父親がドイツ系ブラジル人で、母親が日本人の家庭で生まれ育ちました。なので、住んでいた街もブラジルの“ドイツ人街”で、周りにはヨーロッパ系の人が多かったです。 |
| 坂本 | では、ドイツの文化から受けた影響も大きかったんですね。 |
| ジゼル愛華 | 秋になるとオクトーバーフェスが開催されるなど、ドイツのカルチャーが色濃く根付いていたので、ブラジルにいながらドイツの文化にも触れていました。 |
『Catarina』(2024)
| 坂本 | ちなみに、お父さんはドイツ語を話せたんですか? |
|---|---|
| ジゼル愛華 | 祖父母の代まではみんなドイツ語を話せたのですが、父親の代からはほぼポルトガル語しか話せませんでした。 |
| 坂本 | ドイツ系ブラジル人の中でも世代によって違いがあるんですね。 |
小学生の時に移り住んだ日本での生活
| 坂本 | ブラジルに住んでいた頃は、地元の小学校に通っていたんですか? |
|---|---|
| ジゼル愛華 | そうです。地元の友達とよくサッカーなどをして遊んでいて、今でもたまに当時の友達と連絡を取り合っています。 |
| 坂本 | ブラジルの遊びは、やはりサッカーなんですね(笑) |
| ジゼル愛華 | 当時は、まだ日本語を喋れなかったので、ブラジル人の友達としか遊ぶことはなかったです。 |
| 坂本 | そこから10歳の時に日本に移住したわけですが、日本での生活はどうでしたか? |
| ジゼル愛華 | 日本に移り住んでから、すぐに日本の学校に通い始めたのですが、日本語がわからず同級生との会話もあまりなかったです。 |
| 坂本 | インターナショナルスクールではなく、一般の小学校に転校されたんですね。子どもには少しハードじゃなかったですか? |
| ジゼル愛華 | 孤独感を覚えることも多かったです。例えば、休み時間などはひとりで絵を描いて過ごしていました。 |
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| 坂本 | 当時から絵を描くことが好きだったのですか? |
|---|---|
| ジゼル愛華 | 小さい頃から絵を描くことが好きで、よくアニメのキャラクターなどを描いていました。 |
| 同級生が知っているアニメのキャラクターだと、周りの子から「上手いね!」と話しかけてもらえることがあって。日本語がわからなくても、絵を描くことでコミュニケーションが取れたんです。 | |
| 坂本 | ジゼル愛華さんにとって絵を描くことは、コミュニケーションツールでもあったんですね。 |
| ジゼル愛華 | ブラジルの曽祖母が画家だったので、子どもの頃からよく曽祖母の油絵を見ていたんです。風景画が多かったのですが、幼い時から絵を描くことに憧れがあって。いろんな絵をノートに描いていました。 |
| 坂本 | 寂しい学校生活のなかでも絵で自己表現をすることで、周囲の人々に自分自身を伝えていたのかもしれませんね。 |
- ジゼル愛華

- Interviewer: 坂本遼佑 the PIXEL magazine 編集長。東京都練馬区出身。大学ではアメリカの宗教哲学を専攻。卒業後は、出版社・幻冬舎に入社し、男性向け雑誌『GOETHE』の編集や、書籍の編集やプロモーションに携わる。2023年にフリーランスとして独立し、現在はエディター兼ライターとして活動している。