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ARTICLES ARTIST #渋谷員子 #Muscat 2024.06.07

スクウェア・エニックス 渋谷員子×ピクセルアーティスト Muscat ドット絵対談 Part2

2022年9月に行われたピクセルアーティストMuscat氏と、『ドット絵の匠』こと渋谷員子氏の対談の一部を特別公開!

第2回では、スクウェア・エニックスの渋谷員子氏が、絵に目覚めた学生時代のエピソードや、アニメーションの専門学校から現在の会社に入社した当時の貴重な思い出話を深掘りした。(文=坂本遼󠄁佑|Ryosuke Sakamoto)

毎日デッサンを描き続けた中学生時代

Muscat 渋谷さんがイラストを描き始めたのはいつ頃からなんですか?
渋谷員子 絵を描くことは、幼稚園児の時から好きでした。小学校に入学してからは、友達に“絵が上手い子”って認識されていて。よくクラスメイトにお願いされて、漫画やアニメのキャラクターをノートに描いてあげていました。
Muscat クラスにひとりは“絵が上手い子”っていましたよね(笑)自分の学校でも人気者でした。
渋谷員子 その頃には、少女漫画も読み始めていて。どうしても漫画家みたいに“ペン入れ”をしてみたくて、親に「ペン軸とインクを買って!」ってねだっていました。
Muscat 当時は、漫画家になりたかったんですか?
渋谷員子 小学生くらいだと、他に絵を描く仕事を知らないから。将来は、漫画家になると決めていました。
Muscat 今みたいにインターネットで簡単に検索できないですもんね。
渋谷員子 その夢は、中学生になっても変わらず。中学校では美術部に在籍していました。
Muscat 美術部ではどのような作品を制作していたんですか?
渋谷員子 油絵や水彩画、あとは造形物などですね。特に、デッサンはしっかり教えてもらいました。先生から「この石膏像を毎日1枚描き上げて、出来たら見せにきてね」「このスケッチブックを使い切るまで描き続けてね」と言われて。中学校生活の最後の1年は、放課後にずっとデッサンをしていたのを覚えています。放課後2時間くらいで描き上げなきゃならないので結構ハードでした。
Muscat 毎日、デッサンを1枚完成させていたんですね。
渋谷員子 毎日添削してもえるので、スケッチブック1冊を使い切る頃には、自分でもわかるくらい画力が上達していました。すごくいい勉強になったので、当時の先生には今でも感謝しかないです。

模写の基準は“描きたいかどうか”

Muscat 他にもなにか好きだったものはありますか?
渋谷員子 その頃、ちょうど“第一次アニメブーム”が到来していて。『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』、あとは『機動戦士ガンダム』などがテレビで放映されていたので、いろいろなアニメ作品を楽しんでいました。
Muscat 有名なアニメばかりですね。
渋谷員子 確か、『ルパン三世 カリオストロの城』も映画館で上映されていた時期で。そんな当時の環境もあって、中学校のクラスメイトにはアニメ好きが多く、自分もアニメのキャラクターを模写するようになりました。
松本零士さんや安彦良和さんのキャラクターを、見なくてもほぼ完コピできるくらいまで練習して。高校生になると、自分で『機動戦士ガンダム』のパロディ漫画も描いていました(笑)
Muscat すごい熱意ですね(笑)
渋谷員子 その次は、また少女漫画に“再熱”して。成田美名子さんとか萩尾望都さんの作品をよく読んでいました。特に、成田美名子さんは、80年代に海外のカルチャーが一気に入ってきたこともあって、おしゃれなロサンゼルスの街並みなどの絵に憧れていました。
Muscat それも模写したんですか?
渋谷員子 はい。他にも漫画に限らず、イギリスのイラストレーターのオーブリー・ヴィンセント・ビアズリーにも影響を受けたり、アール・ヌーヴォー期のヨーロッパの画風を取り入れたりもして。
Muscat 模写をしたくなる基準ってあるんですか?
渋谷員子 やはり“描きたい”って思うかどうかですね。Muscatさんは、まず伝えたいメッセージがあって、そこから創作活動に入ると仰っていましたが、私はまず見た目のビジュアルから作品を考えるんです。
例えば、竹宮惠子さんの『地球へ』という作品があるのですが、SFなのでメカや宇宙の描写も多いけれど、気に入ったシーンはペン入れまでして完コピしていました。同じスクリーントーンまで貼って(笑)
Muscat では、特定のキャラクターというよりも、全体の“絵”としてページを模写するんですね。
渋谷員子 そうです。クラシックバレエを題材にした漫画にもハマったことがあって。舞踏のシーンの連続写真のような流れるポーズの描写や、体全体のポージングの描き方をひたすら模写して勉強しました。
Muscat バレエにしかないポージングもありますもんね。
渋谷員子 衣装のふわっとしたレースの表現や、少し透けている布の質感など、バレエの作品だからこその描写も学べるので楽しかったです。
別の漫画家の方の話になりますが、数年前に実家で私が14歳の時に描いた、大島弓子さんのイラストの模写が見つかったんです。なにかの本の付録のポスターだったんですが、インターネットで調べたらもとのポスターの画像が見つかって。14歳が描いたイラストなのでもちろん稚拙な部分はあるのですが、今の自分が見ても、我ながら「よく描けてるじゃん」という出来栄えでした(笑)

アニメの専門学校からゲーム会社への就職

Muscat 高校卒業後は、美術系の大学に進学しなかったですか?
渋谷員子 周りの絵が好き子たちは、美術系の大学を受験する人も多かったです。でも、私はどこかリアリストなところもあって、「美大に入学したとして、就職ってどうなんだろう?」と考えていました。インターネットもない80年代半ば、漫画家やアニメーター以外に絵の仕事を想像できなくて。
それで、とりあえず国際アニメーション研究所という専門学校に進学したんです。アニメーターなら会社に所属するから、会社員として仕事ができると思って。実は、専門学校に在籍していた時に、『オバケのQ太郎』や『エリア88』のビデオ作品などの動画を描いていたこともあるんです。
Muscat なぜそのままアニメーターを目指さなかったんですか?
渋谷員子 アニメーションの勉強をしながら、2年目には研修をかねて放送中のアニメーションの動画も少し描くようになっていました。でも、出来なかったわけではないけれど、情熱がだんだん薄れていってしまったという感じですね。
Muscat アニメーター以外の仕事って、どんな選択肢があったんですか?
渋谷員子 それがわからなかったので、専門学校の先生に「アニメーター以外の就職先はありませんか?」と聞いたら、「ゲーム会社から求人が来てるけどどう?」って言われて。それが電友社(現:スクウェア・エニックス)でした。
当時は、まだパソコン用のゲームを制作している小さなベンチャー企業でしたが、時代の波に乗ってファミコン用のソフトも開発することになって。アニメーションの知識がある人が必要だと、専門学校に求人を出していたんです。
Muscat 電友社に入社する前からゲームが好きだったんですか?
渋谷員子 ゲームにはまったく興味がなくて。でも、絵を描く仕事に就けるならと思い、入社試験を受けてみることにしました。
妹弟が『スーパーマリオブラザーズ』を遊んでいたので、家にファミコンはあったのですが、自分はプレイしたことがなかったんです。なので、「リビングにあった、あのゲーム機のことか」くらいの感覚で面接に向かいました。
Muscat 面接はどのような感じでしたか?
渋谷員子 東横線の日吉駅の近くに、小さなテナントビルがあって。そこのひとつのフロアが、電友社のオフィスでした。社員数もまだ10人くらいの小さいゲーム会社で。
デッサンのスケッチブックを持って行ったのですが見てもらえず。「ドット絵って聞いたことある?」「この小さいマス目に絵を描くんだけど」と言われて、試しにお花の絵を描いてみたのを覚えています。そうして、次の日には「来週から来られますか?」って連絡があり(笑)
Muscat じゃあ突然、ゲーム会社への就職が決まったんですね。
渋谷員子 そうなんです。しかも、その時の面接官をしていたのが、当時はまだ大学生のアルバイトをしていた坂口博信さんで(笑)めでたく新卒の新入社員として入社が決まりました。

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